小手先だけでは真似できない鏝(こて)の技を四代目に伝える—
(有)尾崎左官工業
8月中旬、都内のある建築現場に伺った。一戸建て住宅のリフォーム工事で玄関周りと駐車スペースにコンクリートを張る作業現場。ネコ(一輪車)から流し込んだ生コンクリートを手際良く鏝を使って慣らしていく。
道路に膝をつき、腹這いになって一心に鏝をふるう男たち。30℃越えの猛暑日ではないもののアスファルトからの照り返しは相当きついだろう。頭に巻いたねじり鉢巻からは汗が滴っている。閑静な住宅街に小気味良く響く鏝の音に聞き惚れること数十分、作業が一段落したらしい彼らが腰を上げる。
現場で作業していたのは(有)尾崎左官工業の四人のメンバー。
作業中とは打って変わって温和な表情で語りかけてくれるのが会長の尾崎敏明さん(80?)だ。
「親父は明治の生まれでね。そう、左官屋だよ。14の頃から仕事してたって言ってたな。で、俺も学校出てすぐ5年の年季奉公してね。親父と一緒にうちの兄弟みんなこれ一筋。」と愛用の鏝を指差す。会長の隣の弟さんの正治さん(70?)が微笑みながらうなずく。
「親父はこの道63年。私は39年になります。」と社長の明博さん。コンクリートの乾きが気になるのか時折現場を気にかけながらも話を続けてくれる。「まあ、当然というかごく自然にこの仕事に就きました。じいさんも親父も、おじさんも左官屋ですからね。で、こいつが四代目ってわけです。」と長身の青年を紹介してくれる。次男の奏芽(かなめ)さん(19)だ。作業中も彼は黙々と会長や社長のフォローに徹していた。
きつくて苦しい、若い仲間も周りにいない、いわゆる修行の道をどうして選んだのかを尋ねると
「やっぱり、というかごく当たり前の感覚でしたね。特に決心して、とかそんな大袈裟なもんじゃないです」と極めて控えめに語る奏芽さん。なるほど、どうやら尾崎家には遺伝子の中にしっかりと左官の魂が根付いているようだ。
「こいつはね、なかなかセンスがあるんですよ。技術的なものはまだまだこれからですけど、しっかり基本を体が覚えれば意外とすぐモノになるじゃないかな。」と四代目に目を細める明博社長。「技術と言えば私もまだまだ。親父の鏝は左右均等に綺麗に減ってるんですが私のは右側が偏って減ってる。鏝の減り方を見れば親父には程遠いなって思うんです。」なんとも謙虚でかつ父親であり師匠でもある会長へのリスペクトを忘れないその姿勢に職人の気概を感じる。
「やはりお客様がその目でご覧になって『ああ、こんなに綺麗になったんだ』と感動に直結するリフォームの仕事はやり甲斐がありますよ。新築よりも如実にお客様に実感して頂けますから。まあ、地味で地道な仕事ですけどコンクリートひとつにしても技術の差が見てすぐに分かりますから、妥協は出来ないです。『これは尾崎の仕事だな』って納得して頂いて、選ばれる仕事をし続けていきたいです。」明博社長が語る間敏明会長と正治さんは最後の仕上げに取り掛かっていた。
同じ仕事を四代も続けていくこと、またごく当たり前のように三世代が同じ現場で同じ仕事に取り組んでいるということ、日常でそんな仕事はそうそう見当たらないのではないだろうか?
入念な仕上げと現場を汚さないこと、これら左官屋の基礎の基礎をしっかりと四代目に伝え、尾崎左官工業は様々な現場に取り組んでいる。
かつて学校の手洗い場などに見られた『研ぎ出し仕上げ』は耐久性・耐水性に優れ高い意匠性を持つ工法だが完成まで気の遠くなるような手間が掛かるもの。さらに調湿性能や防カビ性能などから見直されニーズが高まっている『漆喰』の壁などでその技を遺憾なく発揮している。
か見直されニーズが高まっている『漆喰』の壁などでその技を遺憾なく発揮している。
会社名/名称 | (有)尾崎左官工業 |
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ご紹介期間 | 2018/09/20 ~ 2018/12/31 |
所在地 | 東京都板橋区 |
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